356 体力作りにウォーキングを

 昨年に前立腺癌と診断され、今年の3月に放射線治療を受けた。
その頃から疲れやすくなった。
4年程前から高血圧症で治療を受けており薬で抑えているが、それと相まって抵抗力が低下している感じである。
9月の末に高熱で1週間ほど寝込んでから更に酷くなった。
やはり歳と共に免疫力の低下でちょっとしたことが、病気を引き起こすのではないだろうか。
少しゆっくりしようと家に引きこもる様になったが、このことが体力の低下を更に増長する感じである。
外に出て少しでも体を動かそうと8Km程のウォーキングに挑戦した。
当地区は宇陀川と芳野川の一級河川があり、その堰堤にサイクリングロードが整備されている。
宇陀川は榛原から大宇陀まで、芳野川は菟田野までとどちらも8Kmで2時間ほどの距離である。
先週は宇陀川をアニマル公園を経由して大宇陀の道の駅まで、今日は芳野川を菟田野の水分神社まで歩いた。
両方とも自宅から歩いて出かけられるので苦にならないし、帰りは幹線道路沿いなのでバスで帰宅できるのが便利で、途中からでもバスで帰宅できるので安心である。
また、昼頃には現地に着き昼食を取ってバスで帰宅して、帰宅後昼寝が出来るのでちょうど良い感じである。
歩いた結果では野外の開放感と、ちょうど良い疲労感で昼寝後は疲れもなく良い感じである。
暫くは週に1度のヨーガと、ボランティアーで参加している山野草の里づくりの会の作業と合わせ、体力作りの一つとして続けたいと思っている。
 
             白く輝くススキの穂               遊歩道  
              川沿いの白く輝くススキの穂         桜並木の遊歩道 
  
                菟田野水分神社                    みたらし団子  
      菟田野水分神社(国宝)      バスを待つ間の和菓子店のみたらし団子 
 
                    
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355 自身の体と歳相応の生活を考えて

には脾臓は無い。
58歳の時に脾臓は壊死しており摘出した。
当時はよく解らなかったが、検査の結果「自己免疫性膵炎」と診断され、膵臓の1/3を切除し脾臓は静脈が癒着し壊死していると聞かされた。
胆嚢には1Cm程の胆石があり、胆嚢も切除した。
3ヶ月の入院生活の中で、検査に1ヶ月半かかり結果即手術となった。
当時は膵臓癌も疑われたが、手術後の細胞検査で癌では無いことが解り、現在も生き延びている。
過度のストレスが原因と言われたが、「自己免疫性膵炎」は現在では難病の一つにっている。
当時は脾臓と言う臓器はあることも知らなかったが、その働きと機能を聞いて一時は真面な生活が出来るのかと思った。
医師からは血液の浄化と免疫機能の働きがある握り拳ほどの臓器で、通常であれば大きく生活には支障が無いと聞かされていた。
脾臓の大きな働きの一つは老化した赤血球を取り除く機能で、他に血小板を蓄える機能、そして体を細菌から守る免疫機能の働きがある。
手術後19年が経過したが、最近ではこのことはあまり意識しなくなっていた。
9月の末に38度の熱を出して4日ほど寝込んだ。
その時、単純な風邪であったがやはり歳と共に免疫機能も低下しており、その上脾臓が無いということを考えると自分の生活を、もう一度考えなくてはと思うようになった。
最近では疲れやすくなると共に、どうしても午後になると一休みしないと続かない。
昼寝が習慣になった。
77歳という歳を考えれば、これもやむを得ないのでは無いだろうか。
まだ、頭の方はしっかりしていると思うので、これまでの生活を年相応に切り替えて行こうと思っている。

354 運転免許更新に伴う高齢者講習の「認知機能検査」を受けて

この12月で77歳になる。
運転免許証を昭和45年に取得して47年目で、10回目の更新である。
高齢者講習の「認知機能検査」は、今回初めて受ける。
8月に公安委員会から通知が来て、近くの自動車教習所に申し込んだ。
対象者が多いのか予約日は2ヶ月後で、先日検査を終えた。
検査は1時間程で、説明や採点結果の時間を入れても1時間半程のものであった。
最初に正面のモニターに映し出される4個の絵を4シーン計16枚を声を出して覚える。
次に200程の数字の書かれたシートに、時間内に最初に指示された二つの数字の上に斜線で印し、再度指示された三つの数字に斜線を印すテストであった。
その後、最初に見た16枚の絵の内容を時間内に書き出す。
そして次は16枚の絵の内容が書かれたシートにその物品の名前を書く。
例えば「電気製品」はと書かれているので、該当する製品名を記入する。
最初の何も書かれていないシートへの回答は13個しか出来なかったが、絵の内容が書かれたものは全て回答できた。
やはり記憶は時間と共に薄れており、ヒントがあれば出てくるが、白紙の状態は難しく感じた。
この後、白紙のシートに指示された時間「何時何分」を普通の時計を描き、短針と長針を書き込むテストであった。
採点結果は二つは満点であったが、一つは減点されており、トータルで88点とのこと。
76点以上は記憶力・判断力の心配は無いようで、検査員も良く出来ているとのことであった。
1カ月後には運転講習を受けなければならない。
これに合格することで、運転免許の更新が出来ることになる。
ただ、記憶力・判断力に心配は無いというものの、やはり自身の身体機能は少しずつ衰えていることには違いないので、これまで以上に運転には慎重が必要と感じている。



353 終戦記念日に思う

昨日の終戦記日を迎え、テレビ・新聞で大きく報道されているのを見て、昨今の北朝鮮問題から戦時中の恐ろしさを思い浮かべました。
昭和15年生まれで、終戦の昭和20年は5歳でした。
戦争の面影の記憶のあるのは、私の歳が最後のように思います。
父の勤めの関係で東京の立川で生まれ、その当時から空襲警報で近所の防空壕に避難する情景や戦闘機が飛び交う様子がかすかに思い浮かばれます。
その後祖父母の居る三重県津の実家に疎開し、昭和20年7月28日の空襲に遭遇しました。
記憶では夕方から夜にかけてではなかたかと思います。
何時ものように防空頭巾を被り祖父の自転車の後ろにしがみついていた様に思います。
周りはB29爆撃機から投下される焼夷弾で明るく、家の多くは火災で火の海の中を人家の無い河川の河原まで逃げた記憶があります。
当然、実家も全焼で親戚に身を寄せ、幸いにも本家に空き家があり、狭い中で兄弟3人と学生時代を送りました。
今から思うと大変な時代でした。
私たち以上の世代では戦争はもう絶対に考えられません。
戦後72年間、平和が維持できたのもこの戦争の恐ろしさを知り、そして憲法で戦争を放棄したことに他ならないからだと思います。
現憲法を維持していただくことが最善の道では無いかと改めて思うのです。


352 自宅の庭のユウスゲ

今年もユウスゲの花が見事に咲きました。
種から育てた苗を「山野草の里づくりの会」から譲り受け庭に植えたのが5年前で、株も大きくなり花を咲かす茎も現在は4本になっている。
背丈も1.8mと伸びてマキノ木の根元から伸びており、庭に馴染まない感じである。
夕方4時頃から咲き始め朝には萎れている。
何ともはかないと言うか呆気ない花である。
ただ、夕暮れの薄暗い中に黄色の花だけは目立っている。
 
 今年の花
      ユウスゲ20170710         ユウスゲの花20170710  
 
 時系列経過   
  2013年7月 2014年7月 2015年7月 2016年7月
    2013年      2014年     2015年     2016年
  
プロフィール

はいばらじじ

Author:はいばらじじ
昨年12月で後期高齢者1年目を迎えた、70歳を超えてからは歳と共に衰えを感じている。これまでのポランティア活動は続けるものの無理をせずにゆっくりと続けていきたい。このブログもいつまで続けられるか解らないが、自分史として残せればと思い、可能な限り投稿していきたい。 写真は暇な時に描いている水彩画で、アケビの蔓で編んだ籠と山野草である。同じ活動の仲間の方が作られたもので描いてみた。(2017年9月)

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